神威岬(かむいみさき)は、北海道積丹町の岬で、積丹半島から日本海に突き出している。



この付近は古くから海上交通の難所として知られ、女人禁制の岬としても知られる。





女人禁制の門



アイヌの首長の娘チャレンカが源義経を慕ってこの岬まで義経一行の後を追ってきたが、既に海の彼方へ去ったことを知って身を投げ、岬先端の岩(神威岩)になったという言い伝えがある。



身投げ時に「和人の船、婦女を乗せてここを過ぐればすなわち覆沈せん」と恨みの言葉を残し、以後、チャレンカの嫉妬心が女を乗せた船を転覆させたことから、岬一帯が女人禁制の地になったとされる。



もっとも現実は、和人が岬から奥地へ定住することで、ニシン漁やアワビなどの海産物の権益を損なうことを恐れた松前藩による規制と考えられている。



1855年に蝦夷地一帯が幕府の直轄下におかれると女人禁制は解かれて、北海道奥地への定住が進んでいった。





現在は観光地であり女人禁制はとうの昔の話であるが、チャレンカの呪いは健在だという。





というのも、観光ツアー客の中には岬の先端まで行ってバスに帰ってくる途中で足に怪我を負う人が多いとかで、それも若い女性に多いという。





とある若い女性も岬の先端まで行った帰りに、バスのステップでスネを深く切ったことがあった。同じツアー客の年配女性に「若い女の子が足に怪我をすることが多いのよ。チャレンカの呪いかも(笑)」と冗談交じりに言われたが少しだけぞっとしたという。











チャレンカが身を変じた神威岩