琉球王府統治時代の与那国島では、島民達は重い人頭税に悩まされていた。



納税義務は15~50歳までの男女で、その取立ては大変厳しく、納めることができない場合には家族を殺してその責任を取ったとも言われる。



当時としては珍しく女性にも納税義務を課し、布を上納させており、上納全体に対する割合は米よりも布の方が多く、納税をより過酷なものにさせていた。





人舛田(トゥングダ)跡地





人頭税の厳しさに久部良割(クブラバリ)と呼ばれる幅1~3m、深さ7m程度の岩の割れ目を、妊婦を集めて飛び越えさせたいたと伝えられている。、妊婦は落下して死ぬか、飛んでも流産を誘うことになり、人口制限の策とされた。





久部良割(クブラバリ)





久部良割での妊婦殺しでも納税者と収穫量の均衡が取れず、次の人口調整のターゲットは男性となる。





苛酷な人頭税に耐えきれない島の首長たちは新たな口減らし法を考案した。それが人舛田(トゥングダ)で、抜き打ちで銅鑼や太鼓を打ち鳴らして男性を招集し、人舛田に入りきらなかった者は打ち首にされた。そして、人舛田に異議を唱える者も即打ち首になったという。





石高で割り当てられていた年貢が人頭税に変わり、満15歳から50歳までの男性は、たとえ体が不自由あってもく納税の義務を負わされることになったため、人舛田の伝説が今に伝えられている。







口減らしの伝説が実際に行われていたのかは不明であるが、人頭税の義務は大変重く、朝から夜中まで作業をしても納期に間に合わなかったと伝えられている。