函館の外国人墓地の一角には「赤墓」と呼ばれる、墓石が真っ赤に塗られた墓があり、墓石群の中でひときわ目立っている。





墓地の周知板にはこう
ある


信濃助治は、明治27年6月、衣類・コート・帽子・足袋のはてまで赤ずくめで来函した。同年11月、日清戦争の頃、彼は北海新聞の号外を函館市民にまい て”天下の号外屋”と称して売り出し、「赤服」と呼ばれていた。



「赤心」(いつわりの無い心)は日本武道の精髄を表すとして、すべて赤色を用いたとのこと である。


















赤墓は異常なまでの赤色好きであった信濃助治の墓で、彼は北海道新聞の号外を配るチンドン屋の様なことを生業にしていた。彼は全身を赤で固め、家までも真っ赤に塗られていたという。



そんな彼の遺言により建てられたのが件の墓で、色あせることなく今もよく管理されている。



噂によると写真の墓はレプリカで、本物の墓は外国人墓地の奥の方にあるとか、函館山にあるとか言われている。





その本物の墓石の裏面には漢文が刻まれており、これを声に出して読むと事故に遭ったり悪いことが起こると言われる。



深夜番組11pmで赤墓のことを紹介したとき、地元の娘さんがリポーターとしてお墓を紹介した。怖い噂を恐れた娘さんは裏の文字は読みたくないと拒否したという。







読むと災いが降りかかるという漢文が書かれたオリジナルの墓の場所であるが、話自体が単なる噂であり実際には存在しないということである。







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